ユタ州一人旅

 私は、いわゆる海外旅行にはあまり興味がありませんでした。

 しかし、グランドキャニオンに行った際、初めてレンタカーでロスからパームスプリングスに行ってからは砂漠

の景色に惹かれ、とりこになってしまいました。

 その後、レンタカーで数回南西部を旅行しました。

 その過程で、ネイティブアメリカンが描いたロックアート(岩絵)と彼らの古代住居に興味を持つようになりま

した。

 これらを自由気ままに探し歩くには、一人で行くしかないと思い、準備を進めました。

 新型コロナウィルス感染症の流行があったので、70才手前での出発になってしまいました。

 往復の航空券、レンタカー、初日と最終日のホテルを予約しました。

 10日間の旅ですが、、当時のメモと記憶を頼りに、できるだけ詳細に記述しようと思います。

 できれば、地図を用意してください。

ユタ州ロックアートと古代住居への旅

2023年(令和5年)9月9日(日)

 今回の旅の目的は、ユタ州のロックアート(岩絵)と古代住居を訪ねることだ。

 ロックアートには2種類ある。

 ペトログリフとピクトグラフだ。

 ペトログリフ(petroglyph)は、岩の表面を刻んで画を描いたもので、線刻や岩面彫刻とも言われている。

 ピクトグラフ(pictograph)は、岩に顔料を塗って画を描いたものだ。

 古代住居には、断崖住居(クリフデュエリング Cliff Dwelling)と呼ばれる断崖の開口部に石積みで建てられたものと、平地に建てられた単にルーイン(ruin)と言われるものがある。

 総称してどちらもルーインと呼ばれることが多く、石と泥で造られていて大きなものは木で補強している。

 これらは、主にユタ州の不毛の地にある。

 成田発ユナイテッド航空UA142便は、ほぼ定刻通り16時半過ぎにコロラド州デンバー(DEN)に向けて離陸した。

 機中では、フロリダに8か月間語学留学するという関西の女子大学生とアルバカーキに仕事がある男性と同席だった。

 長距離なので、ノイズキャンセリングイヤホンを付け寝ようとしたが効果がなかった。

 同日、昼頃デンバーに着陸した。

 広大な空港で、デンバーの東に位置している。

 10時間以上のフライトは非常に疲れる。

 ここで、入国審査を経てソルトレイクシィティ行きの国内線に乗り換える。

 降機し、コンコースAから長い連絡橋を渡りメインターミナルに向かう。

 後ろの席だったので入国審査場は、かなりの列ができていたが、審査はスムーズにいっていて流れがよい。

 自分の番が来て顔写真、両手の指紋をとられた。

 審査官から「Sightseeing?」と聞かれたので「Yes」。

 たったこれだけ。

 拍子抜けした。こんな簡単な審査は初めてだ。

 通常だと、入国目的以外に滞在期間、滞在場所、所持金額などを聞かれるはずだ。

 バゲッジクレームで預け荷物を待っていたが、なかなか出てこない。

 周りを見渡すと、少し離れたところに置いてあった。

 多分乗り継ぎの荷物は別にしてあるのだろう。

 以前、ロスアンゼルスでの乗り継ぎのときもそうだった。

 スーツケースを受け取り、税関を素通りし、乗り継ぎ用の荷物の再預けカウンターに向かう。

 すりガラスのドアを通過すると、左手に再預けのカウンターがあり、係員に荷物を渡す。

 透明なガラス戸を出たところで、次はどこだろうかと迷ってしまった。

 近くの係員にどこに行けばいいか尋ねたところ、指をさしてあの列に並んでとのこと。

 TSAのセキュリティチェックを受ける。当然、靴も脱ぐ。

 セキュリティを抜け、階段を下りて地下鉄に乗り、二つ目のターミナルBで下車。

 エスカレーターで上がり、再びセキュリティチェックを受ける。

 ソルトレイクシィティ行きUA4763便の出発ゲートは一番奥にある。

 出発までかなり時間がある。

 ここまでほぼ不眠で眠いし疲れがピーク。

 待合室で休憩する。

 ソルトレイクシィティ行きの搭乗が始まった。

 15時40分、離陸。

 満席の乗客の中で東洋人は自分一人。海外に来たと実感せずにはいられない。

 17時過ぎにユタ州ソルトレイクシィティ国際空港(SLC)に着陸した。

 荷物を受け取り、空港内にあるハーツレンタカーの事務所に向かう。

 カウンターで予約券と国際運転免許証、日本の運転免許証、クレジットカードを渡す。

 日本で予約をした時、四駆を指定したはずなのに、レンタカーは前輪駆動車だという。

 四駆にするには追加料金がかかるとのことで、悪路でもFF車で何とかなるだろうと思ってあきらめた。

 レンタルの記録書をもらう。そこには、レンタカーの駐車スペースが277と記入されている。

 空港を出て駐車場に向かう。

 ハーツの看板を探しながら進むとすぐに分かった。

 路面に番号が書かれている。277には赤い車があった。ヒュンダイのサンタフェという車。

 日本だと、係員が来て傷の確認などをするのだが、それはない。

 ドアを開けるとキィーはすでについている。

 トランクを開け、スーツケースを入れる。

 運転席に座り、メーター類の位置の確認と座席とミラーの調整を行う。

 早速、今日宿泊するハンプトンイン(Hampton Inn&Suites Salt Lake City Airport)に向かう。

 場所とルートはあらかじめ調べてあるし5分程なのでナビゲーションなしで行けるだろう。

 駐車場内で慣らし運転をしたのち、出口で係員のチェックを受けてターミナルドライブに入る。

 道路標識に従ってI-80W(州間道路インターステイト80号線西行)に入り、次の出口EXIT114で降りる。

 一般道に入り一つ目の信号を左折すると間もなくホテルに到着する。

 駐車場は満車。敷地の隅にかろうじて停められた。

 ホテルのフロントで予約券とクレジットカード、IDとしてパスポートを提示してチェックインの手続きを行う。

 カードキィーを受け取る。

 フロントの隣にあるホールでは、ヒスパニック系の大勢の人たちが集まって、催事をやっていて、音楽が大きな音で鳴り響いている。

 着飾った人々が行き来している。

 部屋に入って、ベッドに倒れこんだ。

 もう夕方の6時を過ぎているが空はまだ明るい。

 寝不足と疲労で、夕食に出かける元気もない。

 カロリーメイトで済ます。

 シャワーを浴びてベッドに入るが、なかなか寝付けない。

 これで1日目は終了。

 後日、2日目を投稿します。

9月10日(日)

 6時に起床。

 身支度をして朝食も摂らずに7時半過ぎに出発。

 今日は、バーナル(Vernal)周辺のロックアートサイトを巡る予定だ。

 車にはカーナビがついているが、使いづらいのでスマホのグーグルマップ(Google Map)をメインにサブとしてマップスミー(MAPS.ME)をオフラインで使う。

 マップスミーの利点は、山岳地帯や田舎の位置情報が充実していることだ。

 両方のアプリには、今回の旅行で訪れる目的地を全てセットしてある。

 とりあえず、グーグルで目的地をヒーバーシィティ(Heber City)に設定し走り出す。

 一般道からI-80Eに入ってしばらく走るとI-15Sと合流する。5車線もある。

 基本的には、道路番号が偶数の場合は東西に走っている道路で、奇数の場合は南北に走っている。

 馴れないインターステイトを時速120Kmで走るのは、冷や汗ものだ。緊張の連続だ。

 運転していると、どうしてもレーンの左に寄ってしまう。

 EXIT305Bで右折し、I-80Eを東進していくと、車窓は次第に町並みから山の景色に変わってくる。

 上り坂になり山を縫うようにして走る。

 上りきってしばらくしてEXIT146を右折、US189(US Highways 国道189号線)に入る。

 ほどなくして左手にジョーダネル州立公園の青いダム湖が見えてくる。

 建物が多くなり、ヒーバーシィティに到着。

 ここまでホテルから40分程。

 町の南でY字路を左に曲がり、US40に入る。

 しばらく走ると右手に大きなストロベリー貯水池が見えてくる。

 フルーツランド(Fruitland)、ストロベリー(Strawberry)、マイトン(Myton)、ルーズベルト(Roosevelt)、フォートダッチエン(Fort Duchesne)を通ってバーナルの街の入り口に到着。ヒーバーシィティから約2時間。

 I-40E及びUS191を左折し、2500WestStreetを北に向かう。

 ノース・フォーク・キャニオン・ロードに入り、グーグルマップの案内に従い右折し、マコンキーロード(McConkie Road)に入る。

 ドライフォーク川(Dry Fork)の橋を渡り道なりに行くとマコンキーランチペトログリフサイト(McConkie Ranch Petroglyphs Site)の駐車場がある。

 11時頃到着。

 数台の車が停まっている。

 ここはマコンキー家の私有地だが、彼らの理解と協力で周辺はよく整備されている。 

 トイレや簡易的な案内所があり、サイトの概略図の案内板も設置されている。

 トレイルも分かりやすくフェンスが張り巡らせてあり、各所に金網の戸が設置されていて、チェーンを掛けるようになっている。

 初めに案内板に従って、メインパネ ルに向かう。

 トレイルを歩いていくと100m程の高さのあるクリフの下に着く。

 ここから岩場を登っていく。途中、案内板がある。

 茶色の岩の壁面には多くのペトログリフが描かれている。

 ピクトグラフも描かれているが、劣化していて色褪せが激しくよく見えない。

 ペトログリフは人物像が多く、冠をかぶり耳飾りを付け腰にはベルトをしている。

 手や足のないものもある。動物や抽象的なものはほとんど描かれていない。

 案内板には「これらは、クラシックバーナルスタイルと呼ばれるロックアートで、フリーモント文化に関連してい て、精巧に装飾された擬人化の画像が特徴的となっている。

 フリーモント文化は、西暦1年から1200年の時代に遡る。」とある。

 パネルはおよそ200mの長さにわたっており、所々にロックアートが描かれている。

 駐車場に戻り、スリーキングス(Three Kings)と呼ばれているパネルに向かう。

 トレイルが2本に分かれているところを左に進んで岩場を登ると、クリフの下に多くの擬人像のペトログリフが描かれている。

 岩場を下りてトレイルを進むと、有名なスリーキングス像のクリフの下にたどり着く。                       

 スリーキングスは擬人像のペトログリフで20m以上の高さの絶壁に描かれている。

 確かに王冠をかぶったような人物が3名いるようにも見える。

 一番大きな人物像には薄いが色彩が施されていて、両手に何かを持っているように見える。

 但し、双眼鏡がないと詳細には見えない。

  双眼鏡を持参していき大正解だ。

 撮影するには望遠レンズが必要だ。

 どんな方法で岩場を登ったのだろうか。何のために危険を冒してまで描いたのだろうか。            

 サイトは南西を向いていて、何百年もの間浸食や風化に耐え、今でも鮮明な姿を見せてくれている。

 12時半過ぎ、マコンキーランチを後にし、マッキースプリングス(Mckee Springs)に向かう。

 約1時間の距離。

 North Dry Canyon Rdと3500 W Stを左折し、UT121 E(ユタ州道121号線東行き)/3500WStに入る。

 次にDiamond Mountain Rdから未舗装道路のIsland Park Rdに入る。

 マッキースプリングスロックアートサイトの手前200m程のところで、右側に大きな岩があり北西面にペトログリフがある。

    

 車を降りて近づくと鮮明な二つの擬人像があり、手には棒状の物や円形の渦巻きのようなものを携えている。

 その足元にはバイソンのような大きな動物が描かれている。

 道路の反対左側には草木の茂った場所がある。

 車を進めると左側のクリフにマッキースプリングスのロックアートサイトがある。

 道路が少し広くなったところに駐車する。

 パネルは、南を向いている。

 道路とパネルの間にドライクリークがある。

 案内板には、「フリーモントの芸術家は、これらの古代ロックアートのクリエイターである。」とある。

 岩場を登っていくと、大きな着飾った擬人像があり、その周囲に小さな擬人像を従えている。

 他に昆虫のような擬人像から手を通して三重の輪のようなものが描かれているものもある。

 こちらも擬人像のペトログリフが多く描かれている。

 次にIsland Park Rdを西に戻りBean Draw Rdを経由し左折し、UT149に入る。

 約50分でダイナソー国定記念物採石場(Dinosaur National Monument Quarry)の入り口を通過してスウェル  ターシェルターロックアートサイト(Swelter Shelter R.A.S)の駐車場に着く。

 トレイルを歩いていくと案内板があり「約1000年前、フリーモントの人々はこの地に住んでいました。このサイトにはペトログリフとピクトグラフの両方があります。フリーモント人は、ピニョンナッツ、ベリー、サボテンの実など在来食物を集めて食べていました。彼らは、ラバ鹿、オオヒツジ、小型哺乳類、鳥類を狩っていました。また彼らは、水、食料を求め移動しました。彼らは、トウモロコシ、豆、カボチャを栽培しました。これは一年の一定期間、より安定した生活を可能とし精巧なロックアートを作成するために必要な時間を与えたかもしれません。」とある。

 更に他の解説では「ピクトグラフを描くには鉱物や粘土を使ったこと。顔料を作るために他の天然材料も使ったこと。また、ペトログリフの作成にはハンマーストーン(石)を使って画像を彫刻したこと。岩は、鉄とマンガン酸化物の自然に形成された被膜によってペトログリフを彫るのに理想的なキャンバスを提供した。」とある。

 くりぬかれたような岩のドームの中に、小さいものばかりだが密集して描かれている。

 擬人像のペトログリフで昆虫のようなものや装飾をしているものが多く、一部の擬人像は胴体が朱色に描かれたピクトグラフである。

 サイトは南を向いていて約1㎞先にはグリーン川が流れている。

 次にクルーランチロックアートサイト(Crew Ranch R.A.S)に向かう。UT149を先に進み、グリーン川を渡ってすぐ右側にサイトへの道路があるが、金網のフェンスが設置されていて車両通行止めとなっている。

 私有地につき立入禁止の看板がある。

 車を停めて歩いていくこともできない。諦めよう。

 更にUT149を進むと10分程で左折しジョジーキャビンロード(Josie Cabin Rd)のオフロードに入る。

 急な坂道を下りていくと駐車スペースがある。

 左のクリフの下にカブクリークロックアートサイト(Cub Creek R.A.S)がある。

 案内板には次のような解説文が記されている。

「1000年前、誰かが石器を手に崖の上に登った。彼は鉱物で黒っぽくなった砂岩を慎重に選び、岩を削り始めた。何時間ものピッチングと彫刻の後、ビッグホーンシープのイメージが形になり始めた。今日、私たちはこれらの画像に驚嘆し、これを描いたフリーモントの人々について考えさせられる。考古学的証拠では、フリーモント人が約600年間この地域にいたことを示しているが、その運命は不明である。干ばつや新しいグループの到着がフリーモントを去らせた可能性がある。或いは、彼らはその地域に残ったかもしれないが、他の文化と組み合わさったのちライフスタイルを変えた。いずれにせよ、1200年以降の考古学的記録で明確な文化としてフリーモントをたどることは困難だ。」

 要するに文字を持たなかった彼らが、岩に記録しかできなかったことと遺跡の保存が十分でなかったことが史実の解明を阻害している大きな要因だろう。

 更に解説では「ここカブクリークのペトログリフパネルは、人間や動物、抽象的なデザイン、様々な典型的なフリーモントのデザインを特徴としている。」とある。

 実際、擬人像から伸びたらせん状の渦を巻いたラインや頭上から何本も出ているラインなど抽象的なものもある。

 また、動物やジグザグ模様も描かれている。かなり高い位置に描かれているものがある。

 はしごを使って描いたのだろう。

 トカゲのペトログリフは見つけられなかった。後から知ったのだが、もう少し先のサイトにあるようだ。

 サイトは南向きで、100m先にはグリーン川の支流であるカブクリークがある。

 カブクリークを後にし、今日の宿泊地バーナル(Vernal)の街に向かう。約40分の距離だ。

 UT149からジェンセン(Jensen)に向かう途中で車を停める。

 北側にあるスプリットマウンテン(Split Mountain)の白い山並みが雄大だ。

 US40Wを進みバーナルの手前で給油する。

 MAVERIKに入りポンプに横付けし停車する。

 給油機では日本のクレジットカードが使えない。

 併設している店舗に行き店員に「満タンで」と言ってクレジットカードを渡す。

 車に戻って給油口を開けようと車内をくまなく探したがレバーが見当たらない。

 店員を呼んで探してもらったが、わからない。

 そこに、これを見ていた別の人が来て、給油口を手で押したら開いた。

 こんな簡単に開けられていいのだろうか。

 盗難にあう確率が高い。

 レギュラーガソリンを選択して給油を開始。

 1リットル当たりの単価は、日本とほぼ同じ170円前後である。(148円/ドル)

 バーナルはちょっとした街である。

 ダイナソー国定記念物のゲートシティで人口は約10,000人。

 フォーコーナーズを中心とするアメリカ南西部の山間台地であるコロラド高原北端の砂漠地帯にあり、標高は1,600m以上、寒冷な半乾燥気候であり湿度が低い。

 但し、夏は暑く35℃に達する日もある。冬は、マイナス20℃を超える寒さになる。

 年間降水量は、平均20㎜位だ。

 街並みは整然としており、建物はある程度密集していて市街地を形成している。

 街はとてもきれいで、中心部の通りでは大きな鉢に植えられた花があちこちにある。

 モーテルは、予めリストしてあったメインストリートにあるダイナソーイン(Dinosaur Inn)にした。

 敷地には大きな恐竜のオブジェが建っている。

 夕方5時位になっただろうか。

 オフィスでチェックインの手続きを済ませ部屋に入って休む。

 空調が悪い。暖房が効かない。

 日中は暑いが、夕方になると寒く感じる。

 夕食の場所を探す。

 近くのレストランは日曜日なのに休業日だった。

 地図アプリで探していたら街の外れにデニーズがあったので、向かう。

 コークとディナーを摂ったが、新型コロナウィルス感染症の後遺症による味覚障害と嗅覚障害が残っていて味がわからない。

 多分まずいのだろう。(失礼)

9月11日(月)

 モーテルを7時30分に出発。

 今日は、ナインマイルキャニオン(Nine Mile Canyon)のロックアートを見に行く。

 ナインマイルキャニオンのゲートキャニオン(Gate Canyon)まで約73マイル、1時間40分の道のりだ。

 ナインマイルキャニオンはバーナルの南西、ウェリントン(Wellington)の北東に位置している。

 US40Wを進みルーズベルトを通過。

 マイトンを過ぎて少し進み左折しナインマイルロードに入る。

 しばらく走ると両側に原油の掘削機があちこちに見えてくる。

 やがて山の間を縫うようにしてカーブが多くなり、オフロードになる。

 急カーブを下っていくとT字路になり、ゲートキャニオンに到着。

 ナインマイルという名にかかわらず、実際は40マイル(64km)もある。

 ナインマイルキャニオンでは、グリーン川の支流である水量の少ないナインマイル川が西から東へ流れていて、南と北にクリフがそびえている。

 川の両岸は緑が深い。

 先史時代には重要な水源であったし耕作地だったのだろう。

 ここにはフリーモントが残した1,000を超えるロックアートがあり、グラナリー(granary・穀物庫)がある。

 世界最長の芸術を有するギャラリーとされている。

 キャニオンの道路は北側のクリフの足元を走っていて、ほとんどが舗装されており、一部は未舗装なところもあるが四輪駆動車は必要ない。

 サイトの場所は、予めMAPS.MEに登録してあるのでスマホを頼りに進む。

 ここはペトログリフが多く、ピクトグラフは少ない。

 ゲートキャニオンを左折し東へ向かう。

 15分程で道路が狭くなって橋を渡り右にカーブしたところにビッグバッファロー(Big Buffalo)の看板が見えてくる。

 路肩に停車し、看板の矢印に従いトレイルを進む。

 クリークを渡り、クリフの足元に着くとペトログリフの大きなバファローがいた。

 パネルの位置は低く、地面すれすれのものもある。横幅もない。

 他にシープや擬人像、ドットや蛇の像もある。

 この場所から左に進むと別のパネルがある。

 ここも低い位置に描かれていてペトログリフの動物やラインが描かれているが、下手である。練習用に描いたものかもしれない。

 トレイルを戻り、車で数百メートル行くと右側に駐車場がある。

 The Great Huntだ。

 パネルへのトレイルには柵が設けられている。

 それは、左手のクリフの下にあった。

 梯子がなければ届かない位置に描かれていて、パネルの大きさは横幅4~5m、縦2mくらいだろうか。

 パネルはクリークのある東側を向いている。

 弓矢を持った狩人が多くのビッグホーンシープを狩っているシーンがペトログリフで描かれている。

 黒いパネルには人物は4~5人、大人のシープが十数頭、子供が10頭近くいる。

 シープの向きは全て右向きでハンターの方を向いている。

 像は写実的で、下絵を描いて彫ったように感じる。

 何とも直接的で分かりやすいパネルである。

 案内板には「学者は、この特別なパネルが実際の狩猟イベントを表現しているかも知れないと信じている。このような歴史家は、このパネルはビッグホーンシープの群れが集まる秋の交尾シーズンの11月下旬又は12月上旬のシーンを描いていると信じている。これは雄羊、雌羊、子羊がすべて同じ場所に一緒にいる唯一の時期であるからだ。パネルの上部にある大きな台形の角のある擬人像は、古典的なフリーモントのロックアートスタイルの例だ。このスタイルのバリエーションは、フリーモント時代(西暦950~1200年頃)のロックアートで、これが一般的だ。しかし、弓矢を持つ他の3人のハンターが示すようにすべての人間がこのように描かれていた訳ではない。グレートハントパネルは、多くの現代美術作品に複製され、多くの出版物で紹介されている。制作のすばらしさや詳細なデザイン及び保存状態は、このパネルをユタ州で最も認知された有名なロックアートサイトの一つとしている。」とある。

 パネルの右に回ると北を向いた茶色の壁面があり、ここの画像は拙劣だ。曲がりくねったラインやバファロー、小さな擬人像等が描かれている。

 次に、西に戻りラスムッセンケイブ(Rasmussen Cave)に向かう。

 ダディーキャニオン(Daddy Canyon)に着く。

 看板があるので、迷うことはない。

 道路の左右にゆとりのある駐車場があり、左には公衆トイレがある。

 右の駐車場の西には木製の囲いがある。

 その隣に、洞窟ではないが入りこんだ壁面にいくつかのパネルがあり、ペトログリフの擬人像や鹿、小動物が低い位置に描かれている。

 次に、グラナリービューポイント(Granary View Point)に向かう。

 ここは場所がわかりにくい。

 GPSでは39°47′45.39″N 110°12′47.63″Wとセットしていくと良い。

 左手に駐車スペースがある。

 鉄製の白いビューチューブを覗くと、北側のクリフの中ほどに小さな白っぽいグラナリーが見える。

 こんなところにどういう方法で作ったのだろうか。

 今ではロッククライマーが用具の助けをかりれば登れるだろうが。

 石やモルタルの泥をどのようにして引き上げたのか。

 命がけの作業で、驚くばかりだ。

 多分トウモロコシやかぼちゃ等の食料貯蔵庫だと思うが、干ばつや外部からの侵入者による略奪等の対策だとしても、そこまでする必要があったのか理解を超える。

 次のサイトに向かう。

 場所は39°48′58.79″N 110°18′34.45″W。

 ゲートキャニオンを過ぎて、左にあるナッターランチ(Nutter’s Ranch)を通る。

 大きな岩があり、そこに曲がった2重のライン、小さな人物像が描かれている。

 更に西進すると、Coyote Placing The Stars Viewing Areaに着く。

 Harmon Canyon Rdとの交差点の近くの右のクリフには大きな岩がゴロゴロあり、パネルは高さ数十メートル、横幅は恐らく50メートル以上のところに点在している。

 すべてペトログリフで、昆虫のような擬人像や動物の群れが多い。

 手の届かない高所にあり、足元の悪い場所に描くのだから、単に遊びやいたずらでやっているわけではない。

 芸術性を感じる像はないが、宗教性は感じる。

 命を懸けているから。

 次にBig Head Rockの近くにあるサイトに向かう。

 39°48′01.80″N 110°20′32.28″W付近。

 ビッグホーンシープや鹿、人物、触覚のようなものを持った昆虫のような擬人像、抽象的なものまで描かれている。

 Pig Head Rockとは、岩の上に豚の頭の形をした岩が乗っていて、倒れることなくバランスを保ち均衡とっている岩のこと。

 次は39°48′04.06″N 110°21′50.57″Wにあるサイト。

 ここには、人が乗馬している人を引いている像や人物、犬のような動物が描かれていて、 落書きもある。

 像は小さく拙劣だ。

 次に39°46′48.02″N 110°25′29.27″W付近。

 低い位置にあり、いずれもペトログリフ。

 矢を持っている人物像、シープとライン、擬人像もある。

 他にも多くのサイトがあるが、時間の制約でここまでとする。

 ナインマイルキャニオンのロックアート探しはこれで終了。

 このキャニオンは雄大で素晴らし。

 クリフとクリフの間は200mから300mあり、ここをナインマイルクリークが流れていて、緑の帯が続いている。

 赤茶けた岩壁と緑の帯空の青さのコントラストが素晴らしい。

 ナインマイルキャニオンを後にし、ウェリントンに向かう。

 ウェリントンで左折し、US191でグリーンリバー(Green River)に向かう。

 途中でレストエリアのHorse Canyon View Areaで休憩する。

 休憩所といってもトイレとゴミ箱があるだけ。

 I-70Eに合流し、EXIT164を出てグリーンリバーの街に入る。

 モーテルのチェックインには早いので、コンフォートイン(Comfort Inn)の駐車場で時間調整をする。

 時間があったので、前回宿泊したリバーテラスグリーンリバー(River Terrace Green River)に行ってみる。

 裏手にグリーンリバーが流れている。

 今夜はここにしよう。

 少し早いがオフィスでチェックインの手続きをする。

 ランドロマットの場所を聞いたら、グリーン川を渡って左側にあるとのこと。

 2階の部屋に入って荷物を解き、洗濯するためにランドロマットの下見に向かう。

 場所はすぐに分かった。

 建物に入るとカウンターがあり、左が売店で右にランドロマットの機械がある。

 女性の従業員にランドロマットの使い方を聞く。

 日本から来たと言うと、娘が日本語を習っているという。

 彼女から一通り操作手順を教えてもらい、モーテルに戻る。

 洗濯物を持って来てランドロマットで洗濯をしていると、先程の女性従業員とその娘が話かけてきた。

 その子は中学生で、ホームティーチャーに日本語を習っているという。

 彼女のノートには日本語の文章がびっしりと書かれていてとても上手だ。

 日本の生徒よりうまい。驚いた。

 難しい漢字も書かれている。

 アニメが好きで日本に興味を持つようになったらしい。

 来年の春に日本に行きスカイツリーや大阪に行きたいという。

 彼女の父親も来ていた。

 外に出て一緒に記念写真を撮る。

 洗濯が済んで、部屋に帰る。

 夕食は、モーテルに隣接しているTAMARISK。

 テーブルは満員。

 入り口で名前を書いて順番待ち。

 今日の食事も味覚障害のせいか?という感じ。 代金は、4,000円近くした。

9月12日(火)

 朝食時に、入り口にボックスがあってチップを入れるようになっている。

 皆入れている。自分も5ドル入れた。

 モーテルを7時30分に出発。

 グリーンリバーの街を抜け、I-70Wに入る。

 サン・ラファエル(San Rafael)川の橋を渡ると、前方にサン・ラファエル・スウェル(San Rafael Swell)の雄大な山並みが見えてくる。

 10分ほど走ってMM(マイルマーカー)147のすぐ先を右折。

 すると砂利道になり先に鉄製のフェンスがあり、チェーンが掛かっている。

 行けるのか不安になる。

 チェーンを外して進む。

 サウスハットランチバイパス(S Hatt Ranch Byp)のオフロードに入る。

 しばらく走るとブラック・ドラゴン・キャニオン・トレイルヘッド(Black Dragon Canyon Trailhead)に着く。

 路肩に車を停め歩き始める。

 こから半マイル程のトレイルを歩く。

 寒いし、足元が砂地で歩きにくい。

 20分程行くと両側が切り立った峡谷となる。

 ここはサン・ラファエル・スウェルの東にあたる。

 ブラック・ドラゴンR.A.Sは、右のクリフにあり南を向いている。

 峡谷の空間は、荘厳な雰囲気がある。

 柵を超えてクリフの下の岩場を登って近づく。

 くりぬかれたようなドームの壁面には、シダ植物のような細い葉状のものやドット、鳥の足跡のようなピクトグラフが多く描かれていて、中にはペトログリフに着色したようなものもある。

 これらは、フリーモントスタイルのロックアートサイトだ。

 ローマ字のいたずら書きが数か所あり、保存状態が悪い。

 自分が探しているのは、このピクトグラフではない。

 岩場を右に移動してみるが見当たらない。

 一旦岩場を下りて、下から再度見渡すと左の端の方の高い位置にピクトグラフのパネルがあった。

 朱色の頭と手がなく短い足を持った擬人像が数体、淡い画像も数体認められる。

 その右には手のない擬人像と鳥が羽を広げたようなピクトグラフがある。

 空飛ぶドラゴンと呼ばれている。

 バリアーキャニオンスタイルのピクトグラフだ。

 芸術性と宗教性を感じる。

 ここまで、歩く価値のある素晴らしいトレイルだ。

 トレイルを引き返し、I-70に戻る。

 次にサン・ラファエル・スウェルの南東にあるテンプル・マウンテイン・ロック・アート・サイト(Temple     Mountain Rock Art Site)に行くのだが、I-70Wで行くと遠回りになる。

I-70WとI-70Eの間にある道路標識には許可車両以外Uターン禁止とある。

東を向いている標識なので、I-70Wを走ってきた車両が対象だろうと勝手に解釈して、I-70Eから緩衝地帯を超え、I-70Wで西進する。

 ここからテンプル・マウンテインまで35分くらいかかる。

 次の出口EXIT149で右折してUT24に入る。

 この道路は過去2回走ったことがある。

 標識に従って右折し、テンプル・マウンテインRdに入る。

 直進していくと、左にキャンプ場があり、その先の右側にテンプル・マウンテイン・ウォッシュのパネルがある。

 クリフの下の白っぽい壁面右側には擬人像と大型の動物がピクトグラフで描かれている。

 擬人像の方から蛇が垂れている。

 左側には着飾った人物像がある。

 案内板には「テンプル・マウンテイン・ピクトグラフパネルは、ユタ州で最大の先史時代の塗装された人物が含まれていて重要だ。最大の大きさは、6フィート(1.6m)だが8フィート(2.4m)以上だったかも知れない。パネルの大部分が崖面から外れていることは明らかだ。これは剝離であり主に塩の結晶が上から石に浸透したミネラルを含んだ水から成長するため発生する。水が表面の近くで蒸発すると、結晶は大きくなり最終的に砂岩の前層から破壊される。パネルの左側と右側の間のはがれた領域にいくつかの小さな顔料の断片の存在は、それらの間の領域が明らかにピクトグラフで満たされていることを示している。フリーモントは、西暦100年ごろから西暦1300年まで存在し、ユタ州のほぼ全土に住んでいた。他のものはバリアーキャニオンスタイルのものだ。右側にあるものがバリアーキャニオンスタイルで、左側はフリーモントのフィギュアである。」とある。 

 確かに岩面が崩れたのがわかる。

 自然現象なのだが、これ以上の崩壊は防いでほしい。

 対策が急がれる。

 次にゴブリン・バレー州立公園(Goblin Valley State Park)に向かう。

 テンプル・マウンテインRdを戻り、右折しゴブリン・バレーRdに入る。

 10分ほど走ると料金所があり、20ドルをクレジットカードで支払う。

 T字路を左折し手進むと、左手に3本の大きな岩の柱が見えて来る。

 公園のシンボルともなっているザ・スリー・シスターズ(The Three Sisters)だ。

 行き止まりが駐車場になっている。

 ゴブリンとは小鬼という意味だが、どう見てもそうは見えない。

 砂岩が風化しヒョウタンやマシュマロのような形になっていて、先端が丸くなっている。

 屋根付きの展望台から、眼下にゴブリンが遠くまで続いているのが見渡せる。

 時間と自然が造った造形物だ。

 駐車場からの降り口はあるが、特にトレイルはない。

 ゴブリンの間を自由に歩くことができる。

 砂岩はもろく、触るとすぐに崩れてしまう。

 公園のパンフレットによると、「植物はほとんど生えていないが、モルモン茶やサボテン類、ジュニパー等が若干生えている。動物も日中は会う機会がないだろうが、ラピッド、サソリ、ネズミ、ガラガラヘビ等がみられる。ここは元々海底でジュラ紀に堆積した。」とのこと。

 1時間近く散策し、駐車場に戻る。

 帰る途中で、ザ・スリー・シスターズに寄る。

 小さな駐車スペースがあるので、ここに停めてトレイルを歩き始める。

 トレイルははっきりしているし、3本の砂岩の柱は見えているので簡単に行ける。

 200m程の距離だ。

 台座の上に3本の大きなゴブリンが立っていて、奥の足元にはドライクリークがある。

 フォーコーナーの国立公園を巡っていくと、そのスケールの大きさに驚くが、途方もな い時間と天候などの自然の力と地球のダイナミズムによって、我々に想像を絶する景色を見せてくれる。

 ゴブリン・バレーRd、テンプル・マウンテインRdを引き返し、UT24を南下しハンクスビル(Hanksville)に向かう。

 少し走ると、左手にホースシューキャニオン(Horseshoe Canyon)に向かう地方道1010Rdの入り口を通過した。

 20数年前に来た。ガタガタ道が懐かしい。

 地図アプリもない時代に簡単な地図でよく来れたものだ。

 グレートギャラリーのピクトグラフは、本当に素晴らしかった。

 ハンクスビルのT字路を左折し、ウェスペリング・サンズ・モーテル(Whispering Sands Motel)に到着。

 以前泊ったところだ。

 チェックインには早すぎるがオフィスに行ってみる。

 以前と同じ場所にあるが、建て替えたようだ。

 ドアには鍵がかかっていて、誰もいない。

 しばらく駐車場で時間をつぶす。

 2時半過ぎにサイクリングの老人がオフィスに入ったのを見届けて自分も入っていく。

 チェックインの手続き中、20年前に息子とここに泊ったことがあると言ったら、「本当に!」と驚いていた。

 部屋に入って寛いだ後、給油するためT字路のそばのホロー・マウンテイン(Hollow Mountain)という名のガスステーションに行く。

 店は、入口以外は岩の中にある。洞窟の中だ。

 ポンプの脇に車を止めて、オフィスに行ってクレジットカードを渡し、ポンプの番号と給油量か給油金額を告げる    と、給油機が作動するので、ノズルを給油口に入れる。

 満タンにして、飲料水を買ってモーテルに帰る。

 18時頃、夕食に出かける。

 デュークス・スリックロック・グリル(Duke’s Slickrock Grill)という名のアメリカンスタイルのところ。

 店の前面の壁はレンガ。

 馬車の車輪が置かれている。

 店内はオールドウェスタン調で、カントリーが流れていてモニターでは西部劇が放映されている。

 カーボーイハットやウェスタングッズを売っていて、ジョンウェインの等身大のパネルもある。

 こういう雰囲気が好きだ。

 ただ、こちらでも食事は4,000円以上した。

 ガソリン、食事、その他の物価は、どれも高い。

 この20年30年で、日本とアメリカの経済格差はかなり広がっている。

 日本が成長していないと嫌でも実感できる。 

9月13日(水)モーテルを7時30分に出発。

 UT95を時速110キロで南下する。

 前にも後ろにも車がいない。

 周囲には、灌木がまばらに生えている。

 単調な道を走っていると、途中で良く動物の死骸を見つける。

 カラスが集っている。

 周囲は次第に赤い岩肌の荒々しい山が迫ってくる。

 30分ほどで、ホグ・キャニオン(Hog Canyon)に着く。この辺りにロックアートがあるはずだ。

 車を停めて探し回るが、見つからない。

 1ヶ所人物像のペトログリフがあったが、どうもここではなさそうだ。

 先を急ごう。

 車は岩壁の間を縫うように走っていく。

 やがて右折しコロラド(Colorado)川が見渡せるハイト・オーバールック(Hite Overlook)に着く。

 ここから眼前の下方遠くににコロラド川とその向こうには緑の川岸が見えている。

 川は、左から右に流れている。下流にはパウエル湖がある。

 朝日の逆光で詳細には見えない。

 先を進んで坂を下って行くとコロラド川にかかるアーチ橋ハイト・クロッシング・ブリッジ(Hite Crossing Bridge)がある。

 川幅は、100mはある。

 橋を渡ると上り坂になり、少し大きくなった灌木が増え始めてきた。

 針葉樹が多くなる。

 更にUT95を東進し30分程でフライキャニオン(Fry Canyon)を通過する。

 右手に数軒の建物がある。

 さらに20分程でナチュラル・ブリッジズ国定公園(Natural Bridges National Monument)の入り口を通過。

 当初は、この公園に来る予定でチェックはしていたが、時間がないので取りやめた。

 この辺りに来ると、針葉樹が多くなる。

 10分程で、ミュール・キャニオン・キバ(Mule Canyon Kiva)の駐車場に着く。

 左折する少し手前に、標識が出ているが小さくて見落とすかもしれない。

 茶色に舗装されたトレイルを歩いていくと、屋根のついた大きなキバと小さなキバがあり、反対側には石を

積み上げて造った四角に区切られた部屋か物置のようなものがある。

 キバは、宗教儀式を執り行う場所で通常円形でこちらのものは地下式になっている。

 石と泥を材料にして造られていてきれいに仕上がっている。案内板があり、ネイティブアメリカンの歴史や文化について解説している。

 これによると時代を次の5つに区分している。

 バスケットメーカーⅡ(AD1~500)、バスケットメーカーⅢ(AD500~750)、プエブロⅠ(AD750   ~900)、プエブロⅡ(AD900~1100)、プエブロⅢ(AD1100~1300)。

 以下、それぞれの時代の解説がある。

   〔バスケットメーカーⅡ(AD1~500)〕

 もっとも初期のアナサジは、非常に高品質のバスケットを作ったことから、この名がつけられた。

 これは、しばしば幾何学的なデザインで装飾されいくつかは樹脂処理されたか防水性がありしっかり織られていた。

 南西部で見つかった最も初期の住居と貯蔵構造は、この期間中に建設された。

 これらは円盤状のくぼみの上に丸太の壁で建てられた円形のピットハウスだった。

 洞窟の床に穴を掘って食べ物を保管し、ときには岩板で裏打ちした。

 1年中狩りをしてメサに集まり、夏の間は小川の近くでトウモロコシとカボチャを栽培した。

 犬は唯一の家畜だった。

 服は、スカートや腰巻とユッカサンダルで構成されていた。

 冬にはユッカ繊維で作られた重い紐の周りにウサギの毛皮のストリップを包んで作ったローブや毛布を着ていた。

 死者を洞窟に埋葬し、遺体をロープで包み込んだ。

   〔バスケットメーカーⅢ(AD500~750)〕

 調理や保管のため、バスケットよりも有用な陶器の容器を作ることを学んだ。

 器は粘土をらせん状に巻いたものを、つまんだり削ったりして滑らかな容器壁を形成して作った。

 この時代のほとんどの陶器は、無地の灰色の陶器だったが、一部の皿には初期のバスケットにあったものを彷彿とさせる黒いデザインが施されていた。

 住居は、柱で支えられた屋根と室内換気と灰の置き場を備えた内部暖炉を持ったピットハウスが建てられた。

 竪穴室の床にある小さな穴は、祖先の霊が冥界から現れた神聖な穴を表していた。

 この時期に乾燥地農業が発展し、峡谷の縁から離れたメサの頂上に住居を置くことが可能となった。

 狩猟と採集は続き、槍投げは徐々に弓矢に取って代わられた。

 矢の先端には、尖った広葉樹または細かく削られた石が付いていた。

   〔アナサジの説明文〕

 「古代のもの」或いは「古代の敵」を意味するナバホ語であるアナサジは、1300年以上に亘ってフォーコーナーズ地域を占領した。

   〔プエブロⅠ(AD750~900)〕

 この時代には、陶器作りが改善された。

 オレンジや赤に彩色された器が作られ、平らな粘土の帯が灰色の器の首を飾ることもあった。

 この時までに、人々は綿のポンチョや毛布を生産していた。

 かなり大きな村もあり、石積みや泥モルタルで作られた長方形の部屋が作られた。

 食用作物として豆が追加されたことで、食事でタンパク質がとれ健康が改善されたと考えられる。

 小さな子供を運ぶため、ゆりかご板が使用されていた。

   〔プエブロⅡ(AD900~1100)〕

 この時代の陶器は、より多様な形をとり、より高品質になった。      

 調理容器や保存容器の外面は、籠に似た波形で覆われていた。

 他には、目地に黒の精巧なデザインで装飾されていた。

 この時代の人々は、地表の住居に住んでいた。

 竪穴室は、男性専用の宗教的建造物であるキバになった。

 村の配置は、より正式なものとなり1列もしくは2列の部屋と塔からなった。

 人口増加は、この時代を特徴づけた。

 食料生産は、砂防ダム、灌漑構造などの水利システムの開発により増加した。

 七面鳥は家の近くで飼われ、食用にもなった。

    〔プエブロⅢ(AD1100~1300)〕

 この時代は、しばしば「偉大なプエブロ」時代と呼ばれている。

 村は非常に大きな複数階建てのプエブロか砂岩の峡谷の壁の床の間に建てられて、しばしば初期の時代の遺跡の跡の上に重なっていた。

 この変化は、村の保護または防御の必要性から生じた可能性がある。

 いずれの場合も、プエブロの人々は沖積土壌が灌漑農業に利用できる小川の近くに集中した。

    〔放棄の説明文〕

 年輪年代法から、アナサジ族が西暦1250年頃にユタ州南東部を放棄したことが明らかになっている。

 考古学的データでは、アナサジ族が現在のニューメキシコ州またはアリゾナ州北東部まで南に移動したことが示されている。

 この動きは恐らく好戦的な遊牧民の到来、または干ばつや季節降雨パターンの変化などの気候変動に関連していると考えられる。

 他の原因としては、気温の低下による生育期間の短縮、森林の広範な伐採などが考えられる。

 恐らく単一の原因ではなくて、これらの要因の組み合わせによって生じたと考えられる。

 またミュール・キャニオン・ルーインの案内板には次のようにある。

 「部屋は主に睡眠と食料の保管のために、2つまたは3つの家族グループによって使用された。地下のキバは、儀式活動の中心であった。キバは、ジュニパーの丸太で覆われ、その後土をかぶせた。キバへのアクセスは、屋根から穴を通した梯子を使ったりこの地域では珍しいトンネルを通っていた。植物の研究では、トウモロコシ、豆、カボチャが主食であることが示されている。これらは、様々な野生の植物や動物性食品で補完されていた。この場所の陶器と建築物は、コロラド川南西部のアナサジのメサベルデサブカルチャーからの強い影響を受けている。またアリゾナ州北西部のカイエンタサブカルチャーの影響は、多くの陶器の断片からも明らかだ。6マイル東に位置するバトラーウォシュ遺跡には正方形のキバがあり、これもカイエンタの影響を示している。」

 駐車場に戻り、ハウス・オン・ファイアー(House on Fire)に向かう。

 UT95を800m程進み左折し、アーチ・キャニオン・ロード(Arch Canyon Rd)の未舗装道路に入る。

 標識がないので分かりづらいが、ミュール・キャニオンの駐車場からここまで分岐している道路はないので左側を注視して進めば大丈夫だ。

 坂を下っていくと、道路が広がっている場所がある。

 ここが、ミュール。キャニオン・トレイルヘッド(Mule Canyon Trailhead)だ。

 車を停め、左(西)の路肩からトレイルを下りていく。

 トレイルは、砂地だ。

 しばらく歩くとドライクリークに出る。

 所々に水たまりがあるが、水は流れていない。

 川床は滑らかな岩で両端には砂が堆積している。

 トレイルを外れても、クリークを進めばいい。

 砂地は足がもぐり、歩きにくい。

 10時を過ぎて、だいぶ暑くなってきた。

 かなり歩いたが、まだ着かない。

 目的地は、右のクリフの下にあるので注意して歩く。

 途中、1組のカップルに出会った。

 30分は歩いただろうか次第に迫ってくるクリフの中腹を見ると、あった。

 ハウス・オン・ファイアー(House on Fire)だ。

 ここまで、約1マイル。

 川床からトレイルを上がり、スリックロックを登ると石積みされたルーインがある。

 念願の古代住居にやっとたどり着いた。

 せり出した岩の下に大きくても50センチ以下の石を泥のモルタルで積み上げられてい て、中央部には四角形の穴が開いている。

 ルーインは5つある。

 どれもそれほど大きくなく、大家族が住居していたとは思われない。

 狭すぎるので、少人数なら可能だろう。

 ルーインの中は、多少砂や枝があるが、特に加工や追加されたものは見受けられない。

 天井が黒くなっているのは、調理や暖房のススだろう。

 このうちのいくつかは、貯蔵庫かも知れない。

 このクリークの先には、まだ数ヶ所古代住居がある。

 このような場所で生活していた人々に思いを馳せる。

 ここは、保存されるべき重要な遺跡だ。

 破壊行為の無いよう祈る。

 この周辺には、知られたロックアートがないようだが、これは描くのに適当なキャンバスがなかったからか、或いは描ける人がいなかったからか、どうだろうか。

 帰りのトレイルを進む。

 雨が降った後は、フラッシュフラッド(鉄砲水)に注意がいる。

 駐車場に戻り、UT95を東に進み、コウムリッジ(Comb Ridge)を横切り、バトラー・ウォッシュ・ルーインズ(Butler Wash Ruins)の駐車場に入る。

 トレイルヘッドからトレイルを緩やかに登って行く。

 北西に進んでいくと、トレイルに沿って赤い花の枯れかかった元気のないサボテンやセージブッシュが生えている。

 周囲には火事で焼けたような黒く炭化した木々が多い。

 トレイルには植物の説明プレートが設置されている。

 やがてスリックロックになり、ケルンを案内に進む。

 途中、ケルンのないところがあり、少し迷う。

 20分程でルーインオーバールックに着く。

 展望エリアには、転落防止の金網のフェンスが設置されている。

 眼下が絶壁になっていて、下方は緑に覆われている。

 キャニオンの行き止まりだ。

 右手の奥に古代住居が見えている。

 住居は南を向いている。

 クリフデュエリング(Cliff Dwelling)断崖住居だ。

 遠いので、詳しく観察できないが、双眼鏡で見ると石で積み上げられた部屋がいくつかに区切られていて、かなり朽ちている。

 メインルーインの左には別の住居があって、石が積み上げられ上部が開いている。

 中は見えないが、おそらくここが住居で右のルーインは、キバがメインだったのかもしれない。

 この規模だと、数十人は暮らしていただろう。

 案内板には、次のようにある。

 「約700年前に、アナサジインディアンによって建てられた崖の住居クリフデュエリングだ。この遺跡は、住居、儀式、農業、狩猟保管道具の制作等あらゆる生活活動を反映している。儀式活動が行われた4つの地下式のキバがあり、このうち3つのキバは地域で最も一般的な丸いメサベルデタイプだ。4つ目のキバは、アリゾナ州南部の遺跡でよくみられる四角いタイプだ。これは、バトラー・ウォッシュのアナサジ族が東のメサベルデ文化に支配されたことを示している。発見された陶器は、1200年代半ばのメサベルデの衰退を示している。干ばつ、外部からの侵入によりこの場所は放棄された。ここに住んでいた人々は、農業と狩猟をしていた。トウモロコシ、豆、カボチャは、南の広い峡谷の深い沖積土壌で栽培されていた。このサイトは、1300年以前に放棄された。」

 次にサンド・アイランド・ロックアートサイト(Sand Island R.A.S)に向かう。

 UT95を東に向かい突き当りで右折しUS191を南下する。

 ホワイトメサ(White Mesa)を通過し、ブラフ(Bluff)の街に入る。

 街を抜けると、サンドアイランドの小さい看板が見えてくるので、ここを左折。

 サンドアイランドロードに入り、右に曲がると先にサイトがある。

 サイトは右のクリフの下にあり、南を向いている。

 パネルの前方には、サン・ファン川(San Juan River)が流れている。

 ここには有名なココペリのペトログリフがある。

 金網のフェンスが設置されている。

 パネル一面におびただしいほどのペトログリフが描かれている。

 動物像や擬人像が中心。

 動物は左を向いているものが多く、サイズは小さい。

 左を向いているのは、右利きで描きやすいからか。

 ココペリはいくつか見られる。

 ココペリは、人の形をしており手足があり、頭に触角を持ち背中を丸めて縦笛を吹く姿をしていて、五穀豊穣の神として信仰されている。

 このサイトのココペリは、他の画像と比べても大きくなく数も少ない。

 神ならば、もっと大きく描かれてよさそうなのにと疑問に思う。

 サイトを後にして、石のモニュメントを見に行く。

 引き返しT字路にあたる。

 右がUS191で左がUS163だ。

 US163で西に進むと、すぐに右側にモニュメントがある。

 プレートにはホブス・ウォッシュ(Hobbs Wash)という題名で、次のように記されている。

 「冬の嵐が近づくと、4人の偵察員がほぼ飢えて12月27日にこの地域で一晩避難した。1879年、偵察隊は、250人のモルモン教徒の開拓者たちの野営地からの実行可能なルートを探していた。ジョージホブスの言葉。私たちはこの小さな峡谷でキャンプをした。何も食べないで3日目になる。私は岩に自分の名を刻んだ。この旅で生き残れるかどうかも知らずに。」(要訳)

 モルモン教徒たちの過酷な移動の苦労を表している。

 13時30分を過ぎている。

 予定より早く今日の予定が終わった。

 ブラフの町に戻る。

 土産を買おうと、町の東にあるカウ・キャニオン・トレイディング・ポスト(Cow Canyon Trading Post)に立ち寄る。

 外には錆びた古い車や朽ちた馬車がある。

 店内に入ると、インディアンジュエリーとか陶器が陳列されている。

 ドリームキャッチャーはなかった。

 おばさんの店員からズニの青いピアスを購入する。

 次に道路の反対側にあるツインビュートの売店に向かう。

 売店の裏には、大きな2本のビュートがそびえている。

 ツイン・ロックス・トレイディング・ポスト(Twin Rocks Trading Post)にも先程より多くのネイティブアメリカン関連の多くの商品が並べてある。

 アートギャラリーだ。

 どれも非常に高価だ。

 隣のカフェは、休みだ。

 14時半を過ぎていたので、少し早いが宿探しをする。

 チェックしていたラ・ポサダ・ピンタダ(La Posada Pintada)というモーテルに向かう。

 ブラフの町に東にあって、US191の北側の奥まったところにある。

 従業員に聞いたら、満室だという。

 次に町の西にあるデザート・ローズ・リゾート&キャビンズ(Desert Rose Resort&Cabins)行ったが、パソコ   ンの故障で予約できないと断られた。

 どうも怪しいが、仕方がないので次を探す。

 向かったのは、ココペリ・イン(Kokopelli Inn)というモーテル。

 東西に走るUS191に沿って横長に町がある。

 その中間の南側にある。

 オフィスと思しき建物に行くと張り紙があり手続きは売店でとある。

 近くの売店に行くと、入口にモーテルオフィスの電光掲示板がある。

 ガソリンスタンドに併設された店舗だ。

 部屋はあるとのことで、チェックインの手続きを行う。

 売店と一緒のフロントだ。

 夕食は、売店でピザをテイクアウト注文。

 男の店員にガムをあげたら、急に笑顔でフレンドリーになった。

 20分程でできるということで、一旦ホテルに戻り後で取りに行く。

 味覚障害にも関わらず、ここのピザはおいしかった。

 ホテルの名前がそうであるようにここの従業員は、ネイティブアメリカン系が多いと感じる。

 食後、道路の反対側にあるランドロマットで洗濯をする。

 取り忘れなのか大量の洗濯物が、一か所にまとめられて放置されている。

 なかなか乾燥が終わらないので、焦った。

9月14日(木)

 今日は、キャニオンランズ国立公園のニードルス地区(Needles District)方面に行く。

 7時半に出発。

 US191を北上し、ブランディング(Blanding)、モンティセロ(Monticello)を通過し、UT211を西進する。

 しばらく走っていくと下り坂になりカーブが多くなる。

 8時半過ぎにニュースペーパー・ロック・ユタ・ステイト・ヒストリック・サイト(Newspaper Rock Utah State Historic Site)に着く。

 今回で2回目の訪問で、前回は10月下旬の早朝に来て、寒かったのを覚えている。

 黒っぽいパネル一面に多くのペトログリフが描かれている。

 パネルは、鉄製の柵の奥にあり横幅5~6m、高さ3~4mくらいだろうか。

 南を向いていて、道路の反対側にはシェイ山の東を回ってきたインディアンクリーク(Indian Creek)が西に向かって流れている。

 木々が茂っていてキャンプもできる。

 名前のとおり多くの記録が残されている。

 人物像や動物、抽象画等が100以上描かれている。

 案内板には、「ニュースペーパーロックは、古代の人々の活動を約2000年にわたり砂岩に記録したペトログリフだ。おそらくアーチャック文化、バスケットメーカー文化、フリーモントやプエブロ文化の古代の人々が、紀元前から1300年にかけて描いた。岩のフィギアの解釈について、学者たちはその意味を解読できていない。ナバホ族はこの岩を(物語を語る岩)と呼んでいる。」とある。(前半部分要訳)

 右のクリフの足元に沿ってUT211を先に進む。

 3分程でシェイキャニオンR.A.S(Shay Canyon)の入り口に着く。

 左の岩壁にあるはずだ。

 車を停め、トレイルを歩き始める。

 1.5m程の川幅のインディアンクリークを渡る。

 黒い雲が近づいてきて、遠くで雷鳴が聞こえる。

 急がないと。

 トレイルははっきりしていて、迷うことはない。

 パネルは、南東を向いていて、インディアンクリークまで200m程。

 クリフの下にたどり着き、岩場を登る。

 パネルは、全てペトログリフで、横に長く擬人像、ライン、動物が描かれている。

 

 もう一方のパネルには長いラインや円形の抽象画、動物が描かれている。

 低い位置にあるが、上部は手が届かない。

 天気が気になる。

 引き返し、UT211を西進する。

 マイルマーカー4の近くの路肩に駐車。

 左に大きな木が茂っている。

 右の岩場を登って行く。

 大きな岩が多くて、登りづらい。

 左側から探し始める。

 ない。

 右に回る。

 円を重ねたデザインのもの、ライン、単純な擬人像しか探せなかった。

 他にもあるだろうが時間をかけられない。

 雨が心配なのだ。

 先に進む。

 しばらくクリフの足元に沿って走っていると、次第に両側の視界が開けてきて前方に雄大な景色が広がってくる。

 やがて、キャニオンランズ国立公園ニードルス地区の入園ゲートがある。

 料金を支払い進むと、右にビジターセンターがある。

 1㎞程進むと、左の路肩が広くなったところがロードサイドルーインの(Road Side Ruin)への駐車場だ。

 小さな看板が出ている。

 ルーインは、左手(東)にある。

 分かりやすいトレイルを進むと、行き止まりに石で積み上げられた小さなルーインがある。

 柵が設けられていて、すぐ近くまで行くことができない。

 ルーインは、突き出た岩の下にあり、半円形をしていて上部が開いている。

 きれいにそろった石を多くの泥で丁寧に積み上げてある。

 蜂の巣のような感じがする。

 下が斜面で勾配があるし、大きさからも住居だったか疑問に感じる。

 グラナリーのような気がする。

 ただ発見されやすい場所にあり、容易に近づけるので、他とはだいぶ違う。

 料金所でもらったパンフレットによると「この地区のネイティブアメリカンは、トウモロコシ、豆、カボチャ、綿を育て、種子、根、果実を集めた。また、シカやオオツノヒツジを狩り小動物や鳥を罠にかけたりした。小さい植物は、食料にしたり薬として使用したり服の材料にした。」とある。

 この地区のソルトクリーク周辺には、10000年以上前から人々が住居していた痕跡がある。

 今でもこの地でキャンプする場合は、保存を図るとともに祖先への敬意を表すため、史跡から300フィート(90m以上)離れることが義務付けられている。

 10時頃、ロードサイドルーインを後にし、モアブ(Moab)のゴルフコースロックアートサイト(Golf Course R.A.S)に向かう。

 雨が降ってきた。

 間一髪だ。

 UT211を東に戻り、US191とのT字路を左折し、北上する。

 モアブの街の南の端に着き、右折しイーストスパニッシュロード(East Spanish Rd)に入ると、ロータリーがあるので、直進する。

 すぐサイトの駐車場に着く。

 モアブゴルフコースの北側にある。

 木製のフェンスで囲われている。

 左の岩の下に横長にペトログリフが描かれている。

 触角を持った首の長い擬人像や動物、様々なラインが見られる。

 茶色の壁面が一部黒くなったところがあり、ペトログリフはそこに描かれていて、所々に剥がれ落ちたような部分がある。

 いたずら書きもみられる。

 フィギアは皆小さい。

 東の下方の奥に、ミル川(Mill Creek)がある。

 次にUS191に戻り、北上してマクドナルドを左に見て交差点を左折し、ケインクリークブルバード(Kane Creek Blvd)に入る。

 ほどなくすると右に水量豊かな茶色をしたコロラド川が見えてくる。

 コロラド川は、右から左に流れている。

 川の両岸は赤茶けた絶壁で、その下を道路が走っている。

 ムーンフラワーキャニオン(Moon Flower Canyon)のキャンプ場に到着。

 ここも2回目の訪問だ。

 サイトは、キャンプ場の右手にあり、岩の下に描かれていて、パネルは小さい。

 頭から2本の触角を出した手足のない擬人像が目を引く。

 その下に動物たちとラインが描かれていて、どれもペトログリフだ。

 このサイトもいたずら書きで荒らされている。

 手の届くところは、柵があってもリスクがある。

 この先に、もう一ヶ所サイトがあるはずだ。

 前回来た時に、偶然発見した場所だ。

 私有地につき立入禁止の看板があり、フェンスが張り巡らされていて入ることができない。

 更にケインクリークブルバードを進むと、右手にケインクリークレクリエーションパーキング(Kane Creek Recreation Parking)があり、ここからオフロードになる。

 いくつかのカーブを曲がると右手下方に大きな一つの四角い岩が現れる。

 バーシングシーンサイト(Birthing Scene Petroglyph)だ。

 右の路肩が少し広くなっていて、岩の周囲に柵が設けられているので、すぐわかる。

 目測で高さ2から3m、横幅も2から3mくらいで、南側の上部が低くなっている。

 北側のパネルに出産シーンが描かれている。

 他のどのサイトにも見られない貴重な珍しいフィギュアだ。

 岩の全ての面には、多くの岩絵が描かれている。

 案内板には次のように記されている。

 「誕生の岩への訪問者であるあなたは、キャニオンランズ地域特有のアバホラサルスタイル(Abajo La Sal style)様式を含むアーチャイク(Archaic)からウテ(Ute)時代に至る様々なスタイルを見ることができる。アバホラサルスタイルは、サンファンバスケットメーカー(San Juan Basketmaker Style)とバリアーキャニオンスタイル(Barrier Canyon Style)の両方の属性を備えている。アバホラサルスタイルは、肩からまっすぐに伸びる短い腕を持つ肩幅の広い擬人化体を特徴としている。擬人化されたものには、弧状の腕がある場合や腕が全くない場合もある。このスタイルに共通するその他のイメージには、動物、足跡(クマを含む)、線状の幾何学的形状などがある。ここでは、ムカデ、オオツノヒツジ、ヘビや抽象的なものなど形成期の一般的な岩絵も見ることができる。」

 周囲には、灌木がまばらに生えているだけの岩だけの荒涼とした赤茶けた風景が広がっている。

 西にはコロラド川に流れるケインスプリングスクリーク(Kane Springs Creek)がある。

 引き返し、コートウォッシュロックアートサイト(Courthouse Wash R.A.S)に向かう。

 来た道を戻りUS191Nに入る。

 モアブの街を抜け、コロラド川にかかる橋を渡るとすぐ右側に路肩が広くなった場所がある。

 大きなトレーラーが停まっている。

 本来なら、もう少し先の正規の駐車場に停めるのが正しいのだが。

 トレーラーの後ろに停車し、右のクリフにあるサイトへのトレイルを探す。

 パネルは、クリフの下にあるが、下から見るとかなり高いところにあり、登っていくのが大変だ。

 トレイルは左手にあるが、はっきりしていなく、どこを登っていけばよいかわからない。

 とにかく登るしかない。

 パネルの場所は大体わかるので、最短距離で登ろうとすると、大きな岩があったり傾斜が急だったりして登るのに苦労する。

 何とか登りきる。

 下を見ると、コロラド川の向こうにモアブの街が見える。

 パネルは、南西を向いている。

 上部が直角に切られた左手に、多くのピクトグラフがある。

 かなり上に描かれていて、とても手が届かない。

 バリアーキャニオンスタイルだろうか。

 手足のない擬人像や昆虫のような擬人像もある。

 近くにはペトログリフもあり、動物や人物像が描かれている。

 案内板には、「ハイウェイを走る車の騒音が聞こえますか。この谷には昔から人々が行き交う音が響いていました。頭上の平らな岩壁に先の細い背の高い人物が見えますか。古代時代の人々は、1500年から4000年前に、これらのイメージを描きました。先住民の言い伝えでは、彼らは太古の昔からここにいたとよく語られている。考古学的証拠は、祖先のプエブロ人とフリーモント時代の人々が、少なくとも2000年以上前にここに住んでいたことを示している。パイユート、ナバホ、ユートの人々は少なくとも700年前からここに住んでいる。彼らが描いたり刻んだりした絵は、この場所が重要であることを示している。」

 この最後の一文は、まさにその通りである。

 また、別の案内板には、「1980年に、この古代ロックアートが何者かに破壊された。国立公園局は、汚れた岩絵を清掃したが、修繕することはできなかった。明るく対照的な色素の多くは永久に失われている。」

 岩絵の文化的価値に疎い人達による落書きや破壊は、歴史研究の妨げになりとても残念だ。

 これで今日の予定は終了したが、まだ昼を過ぎたばかりで時間が余っている。

 明日に予定していた次のサイトに向かう。

 US191Nを進み、すぐ左折しUT279ポタッシュロード(Potash Rd)に入る。

 5マイル程でロードサイドペトログリフス(Roadside Petroglyphs)に着く。

 この付近は、ロッククライミングの名所だ。

 数人が登っている。

 コロラド川を左にし、道路のすぐ右側のクリフは直角にそびえている。

 路肩が広くなっていて看板もあるので、すぐわかる。

 パネルは、東を向いている。

 高い壁面に、多くのペトログリフが描かれている。

 波打つライン、大小の動物、頭に羽を付けた擬人像が描かれている。

 高さ7~8mもある岩面に、どういう方法で描いたのだろうか。

 梯子を使うしかないと思うが。

 案内板には、「先史時代のネイティブアメリカンの岩絵は、コロラド川とその支流の川、小川、渓谷沿いで見られる。岩絵は、ペトログリフとピクトグラフで描かれている。擬人像と動物像はよく見かける。考古学者は、ほとんどの岩絵は、アルカイック(紀元前6000年~1000年)とフリーモント(西暦450~1300年)の文化期に作成されたと考えている。アルカイックの岩絵は、擬人化や動物を描いたもので構成されている。曲線、ジグザグ、波線、同心円、抽象記号もある。フリーモントインディアンのロックアートには、角を持つ台形の擬人像や多くの動物、オオヒツジや犬、武器を使った狩猟シーン、抽象的なオブジェクトがよく描かれている。アルカイックとフリーモントの岩絵が、同じパネルで見つかることもある。アメリカ先住民のグループは、いくつかの岩絵のパネルに宗教的機能を与え、それらを神聖な場所であると考えている。ロックアートは、移住ルート、豊饒、狩猟方法、儀式、宇宙の出来事の概念を描いているとも解釈されている。これらの岩絵は、壊れやすく簡単に傷つく。いかなる理由があっても、岩絵に触れるべきではない。人間の皮膚に含まれる油分によって、岩の表面がさらに破壊される。保存に協力するとともに見るだけ写真を撮るだけにして下さい。」とある。

 先に進む。

 1.5km程で「DINOSAUR TRACK  POISON SPIDER TRAIL」と書かれた茶色の標識に従って、右にオフロードを      上って行くと駐車場に着く。

 駐車場には、インフォメーションキオスクとピットトイレがある。

 ここから、北東方向のクリフを目指す。

 トレイルヘッド付近は歩きやすいが、次第に勾配がきつくなる。

 岩が多く足元に注意して登る。

 垂直なクリフの下にたどり着くと、ペトログリフのパネルがある。

 波状のライン、大小の動物、頭に羽を付けたような擬人像が描かれている。

 バリアーキャニオンスタイルのような首と胴体だけの擬人像もある。

 狩猟シーンもある。

 左に行くと、横3m高さ2mまではないが大きな平らな岩がある。

 岩は斜めになっていて、ダイナサウルストラック(恐竜の足跡の化石)がある。

 足跡はカエデの葉のような3本の指で大きさは20㎝くらいだろうか。

 石板にはいくつかの足跡が確認できる。

 この左にも、ペトログリフがある。

 ここからも下方にコロラド川が見える。

 慎重に降りきって、駐車場に着く。

 キオスクの説明によると、「ここのペトログリフは、この地域で見つかった最もユニークな岩絵の一部だ。モアブとキャニオンランズ地域は、バリアーキャニオン(約2500~6000年前)、プエブロ人又はアナサジ、フリーモント(約850~2500年前)のスタイルの影響を示す岩絵を見つけることができる数少ない場所のひとつだ。ここでは、アナサジのロックアートとの顕著な類似性を示すフリーモントの擬人像、四足動物、抽象画が展示されている。これらの類似点はフリーモントとアナサジが単なる象徴以上のものを共有していた可能性があることを示唆している。」とある。

 注意事項として「これらのペトログリフは、かけがえのないもので一度損傷すると永久に失われます。岩絵に触れたりなぞったり彫ったりすることはやめてください。自分の名前を残したくなるかも知れないが、これは法律違反であり今後の訪問者の体験を大幅に損なうことを承知してください」

 トラックについては、「この大きな足跡の石板は、1965年にはじめて記録された。ブロックは目の前の丘の中腹から落下して外側に傾き、1億9000万年間視界から隠されていた恐竜の足跡を明らかにした。」とある。

 駐車場を後にし、ポタッシュロードを西に進む。

 コロナアーチトレイルヘッド(Corona Arch Trailhead)を過ぎて左にカーブすると、左にコロラド川右には並走して貨物鉄道が走っている。

 しばらくして、ロングキャニオンロード(Long Canyon Rd)への入り口に着く。

 右折し踏切を渡ると、駐車場がある。

 右にジャグハンドルアーチ(Jug Handle Arch)が見えている。

 縦型のアーチだ。

 ロックアートはどこにあるのだろうか。

 砂地を歩いて探し回るが、単純な擬人像が一つだけ見つかった。

 右に回りアーチの近くの岩場に行くとトレイルがあった。

 岩場を登って行くと岩肌にペトログリフがあった。

 南を向いている。

 黒い岩に多くのペトログリフが描かれている。

 4重の同心円、擬人像、ヘビ、抽象画がある。

 砂地を歩いていると植物の棘が刺さった。

 気を付けて歩く。

 17時過ぎ、来た道を引き返し、モアブに向かう。

 今日の宿をどこにするか。

 モアブは、アーチイズNPやキャニオンランズNPのゲートシティになっているので宿はいつも混んでいる。

 コロラド川を渡ってすぐ右手にホリデイイン(Holiday Inn Express&Suites Moab)のサインが見えたので、早速立ち寄る。

 オフィスで聞くと空き室があるとのこと。

 今日のチェックインと明日の予約をする。

 宿の確保ができたので、街に繰り出す。

 フロントで聞いた土産物店に行く。

 キャニオンランズトレイディングポスト(Canyonlands Trading Post)だ。

 モアブのメインストリートにある。

 ショップは左にある。

 車を停め、中に入ると衣類やインディアングッズがある。

 ここで、ドリームキャッチャーとカップを購入する。

 男性店員に夕食でおすすめの場所を聞いたら、道路のすぐ向かいのレストランを勧められた。

 行ってみると混んでいる。

 店に戻って、満席だったので、他の場所を訊ねたところ、モアブグリルレストランがいいという。

 500m程進んだ右側にあった。

 店内はさほど混んではいない。

 席に案内され、注文。

 一般的なアメリカンレストランだ。

 食後、ホテルに戻る。

 少し休憩してから、給油に出かける。

 マーベリックのガスステーションに入って、満タンでと言ったら50ドルが限度だとのこと。

 数字の書かれたレシートを渡され、ポンプでその番号を入力し給油開始。

 ちょうど50ドルで、ストップ。

 ほぼ満タンになった。

9月15日(金)

 朝食を摂り、ホテルを7時半に出発。

 寒い。

 13℃くらいか。

 US191Nでコロラド川を渡ると、右にアーチイズN.P Rdがある。

 アーチイズには、2回行っているがまた行きたい。

 デリケートアーチは素晴らしい。

 デリケートアーチトレイルのトレイルヘッドの近くにあるウルフランチを過ぎて

しばらく歩くと左手向かうトレイルがあり、その先にウテ族のペトログリフがある。

 そんなことを思い浮かべながら、ほどなくして左折し、UT313Wに入る。

 2マイル程で、インテスティンマンペトログリフサイト(Intestine Man Petroglyphs)に着く。

 路肩が広くなっているが、標識はない。

  ロックアートは、右のクリフの下にある。

 パネルはすぐ近くにあり、岩場を登ることはない。

 右の方には、ペトログリフで右を向いた大型テレビのような四角形をしたオオツノヒツジが三頭描かれている。

 左の方には、ピクトグラフでメインであるインテスティンマン(腸の男)と呼ばれているロックアートがある。

 確かに腸のようなとぐろを巻くような形をしていて、全体的に形容しがたく果たしてこれが腸なのか。

 胴体だけで、上下に羽を付けたようにも見える。

 その右には擬人像があり、両肩から羽のようなものが垂れ下がっている。

 肩の上には、鳥が描かれている。

 左にはやはり擬人像があり、何かを被っているようにも見える。

 その左に矢が刺さった鳥が一羽、右に四羽描かれている。

 年間何万人もの人がキャニオンランズに行くためこの道を通るだろうが、誰もこの岩絵に気づかない。

 道路の反対側を下りて向こうの岩場に行けば、ロックアートがあるはずだが、先を急ぐ。

 UT313Wを進み、アイランド・イン・ザ・スカイ・ロード(Island in the Sky Rd)に入り20分程で、キャニオンランズ国立公園の入り口アイランドインザスカイ地区(Island In The Sky District)の料金所に着く。

 ここからグランド・ビュー・ポイント・ロード(Grand View Point Rd)となる。

 更に3分程で左のシャーファー・キャニオン・オーバールック(Shafer Canyon Overlook)の駐車場に着く。

 トレイルヘッドからキャニオンを見渡せる場所まで緩やかに降りていく。

 端から見ると、すぐ直下から右にかけてシャーファーロードがジグザクに下っている。

 左には、東の方向の眼前にキャニオンが広がっており、その中を一本の白い道が遠くまで伸びている。

 途中で左に向かうと、ポタッシュロードになり直進するとホワイトリムロード(White Rim Rd)となる。

 どちらも四駆でないと行けない。

 ホワイトリムロードに行く場合は、ビジターセンターで許可を受けないといけない。

 危険な道だが、人気がある。

 次にメサアーチ(Mesa Arch)に向かう。

 ここから約10で到着する。

 路肩にMESA ARCH TRAILHEADの標識があるし、左手に駐車場の出入り口があるので、分かりやすい。

 人気のスポットなので、多くの車が停まっている。

 時刻は9時前。

 メサアーチを撮影するベストな時間は、日の出の時刻。

 アーチの中に日の出を入れて撮った写真をよく見る。

 日はとっくに上っている。

 トレイルは、最初緩い上り坂が続き最後は下りになる。

 トレイルから外れることはない。

 10分ほど歩くと目の前には、横長の太い岩のアーチが朝日をバックに立っている。

 アーチの下部が朝日でオレンジに輝いている。

 アーチの向こうには、遠くまで赤茶けたキャニオンが広がっていて、左にはビュートが見えている。

 絵になるところだ。

 アーチはリムの端にあり、周囲が崩壊してこの形状ができたのだろう。

 アーチの上に登ると、その太さを実感できる。

 数メートルはあるだろう。

 観光客は軽装で、寒いのにハーフパンツが多い。

 次に道路を先に進み、300m程で右折し、アップ・ヒーバル・ドーム・ロード(Upheaval Dome Rd)に入る。

 1km程でアズテック・ビュート・トレイルヘッド(Aztec Butte Trailhead) の駐車場に着く。

 駐車場には案内板があり、「メサの上にそびえるビュートからは、切り立った崖と四方に渓谷を見下ろすことができる。数百年前、祖先のプエブロ人は、勤勉さと創意工夫によって、ここに生き残った。彼らはユッカサンダルを履き種、穀物、薬が入ったかごを担ぎ、収穫物を泥でふさいだ小さな石造りの建物に保管した。これらの穀物倉庫は今でも残っている。」とある。

 トレイルからは二つのビュートが見えていて、手前のビュートより奥のビュートの方が大きい。

 どちらにもグラナリーがある。

 奥のビュートは、登るのに難易度が高い。

 手前のビュートを目指していく。

 ビュートを左手に見てトレイルを進む。

 トレイルは、はっきりしている。

 500mほど進むと、トレイルが分岐している。

 右に行くとアズテックビュート、左に行くとグラナリーの標識がある。

 左に進むと、ビュートの登り口に着く。

 ここから岩山を登って行く。

 そう高くはないが、スリックロックなので滑落の危険があるので、侮れない。

 慎重に登って行く。

 登りきると、上部は平らだ。

 踏み固められたトレイルの先に案内板がある。

 そこには、「古代の食糧庫。目の前の広大な砂漠の風景には、人間の生活の痕跡はほとんどありません。しかし、張り出した岩の下の床に隠れて二つの石造りの建物が千年もの間立っています。これらの穀物倉庫では、かつて水、種子、食料、薬が密閉された籠や壺に保管されていた。おそらく、これは近くに住む家族のための食糧庫或いは砂漠を旅する者が食料を集めるための倉庫だったのでしょう。ここに一シーズン住んでいたと想像してみてください。どこにキャンプを張りますか。何を食べて何を飲みますか。これらを建設したと考えられる祖先のプエブロ人は、わずかな降雨量を利用して、トウモロコシ、豆、カボチャの栽培を行っていた。収穫物の一部を保管しておくことで、干ばつに対する安全が確保され、ここに食料があることを知っている家族が長距離を移動できるようになった。」とある。

 また、「立ち入ってはいけないこと。皆の協力によって、はるか昔に砂漠で生き残った人々の不屈の証として確実に残すことができる。」とも記されている。

 案内板の先を下ると、そこにはグラナリーが二つあった。

 東を向いており、どちらも石と泥で造られている。

 左のグラナリーは、中央付近が50㎝の幅で、天井から途中にかけて開いている。

 右のグラナリーは、中央部分が四角形に開いている。

 ここから出入りしたのだろう。

 急斜面なので足を滑らせたら、大事故になる。

 それにしても、少雨の砂漠地域で、近くにクリークがある訳でもないのに、水の確保をどうしていたのだろうか。

 水がなければ、グラナリーは作れない。

 説明文にはなかったが、保管庫の他に緊急避難場所や外部の侵入者からの防御という側面はないのだろうか。

 右に回って、ビュートの上に出る。

 ビュートを降りて、トレイルを引き返す。

 次に、アップ・ヒーバル・ドームに向かう。

 道路を進むと、行き止まりになる。

 駐車場だ。

 満車。

 一周したが、空きそうにもない。

 少し戻って、何とか路肩に停める。

 駐車場の奥から、トレイルに入る。

 途中、急坂なところがある。

 500m程歩いて登りきる。

 遠くに頂上がギザギザとした白いアップ・ヒーバル・ドームが見える。

 ここがファーストオーバールック(First Overlook)だ。

 周囲から円形に陥没した地形になっている。

 直径10㎞。

 ドームを周るトレイルがある。

 地形の起源については、諸説あり良く分からないようだが、隕石の衝突クレーターであるとする説が有力だ。

 周囲はあきれるほどの風景が広がっている。

 次にデッドホースポイント(Dead Horse Point)に向かう。

 道路を引き返し、グランドビューポイントロード(Grand View Point Rd)を進むと、デッドホースポイントステイトパーク(Dead Horse Point State Park)の標識がある。

 ここを右折しUT313に入る。

 料金所で入場料を支払い公園に入る。

 ユタ州の州立公園だ。

 ここまで40分の距離。

 一番奥に駐車場がある。

 駐車場からトレイルを南に100m歩くと、屋根の付いた展望台兼休憩所がある。

 さらにその先にデッドホースポイントからは、南の方向に赤茶けた岩壁の間をくねるようにして流れているコロラド川が見える。

 グースネックの両岸の緑の川岸が、周りの青い空、赤茶けた岩の景色と調和していて見応えがある。

 足元にはポタッシュロードが見える。

 ここからの高低差は700m程。

 車が米粒に見える。

 駐車場に戻り、西の端に向かう。

 遠くに炭酸カリウムを産出する、青白いポタッシュポンドが見える。

 デッドホースポイントと呼ばれる由来は、伝説によると19世紀にカウボーイがこの地形を利用し自然の囲いとして使用していて、馬がしばしば水不足で死んだことから名付けられたという。

 州立公園を後にし、ロングキャニオンロード(Long Canyon Rd)に向かう。

 UT313を戻り、10分程で右折しオフロードのロングキャニオンロードに入る。

 この道をしばらく走って、これからは難易度の高い運転になると実感した。

 道を下っていく直前で、行かない決断をした。

 理由は、車はハイクリアランスだが4WDでないこと、一人での運転だから。

 このオフロードは、距離は短いが途中狭い場所があるし、かなりラフな場所がある。

 頭では行けるだろうと思っていたが、実際走っていると躊躇してしまう。

 安全第一にしよう。

 この道を進むと、昨日行ったジャグハンドルアーチに出る。

 引き返しモアブに帰る。

 ホテルで休憩をした後、たまった洗濯物をホテル内のコインランドリーで洗う。

 夕食は、町の南にあるスージーズブランディングアイロンレストラン(Susie’s   Branding Iron Restaurant)という長い名前のところ。

 17時半を回ってだいぶ混んできている。

 食事は合わないし、いつも茶色。

 18時半に店を出る。

 先のT字路の赤信号で停車したら、後ろからクラクションを鳴らされた。

 赤信号でも右折はOKというのを忘れていた。

 いよいよ明日は探検旅行の実質最終日だ。

 9月16日(土)

 ホテルを7時過ぎにチェックアウト。

 今日も朝は寒い。

 朝は13℃前後で昼過ぎには30℃前後になるので服装が難しい。

 今日の目的地シーゴキャニオンロックアートサイト(Sego Canyon R.A.S)に向かう。

 約40分の道のりだ。

 US191Nを進み30分弱でクレセントジャンクション(Crescent Junction)を右折しI-70Eに入る。

 5分で次のEXIT187トンプソンスプリングス(Thompson Springs)を降り、UT94トンプソンキャニオンロードを北上する。

 10分程で左の路肩にSEGO CANYON ROCK ARTの小さな標識が見えてくるので、ここを左折。

 小さな駐車場がある。

 近くのクリフから探し始める。

 水の流れていないトンプソンウォッシュに降りて岩場を登り左手に向かう。

 するとペトログリフとピクトグラフが描かれているパネルがある。

 ペトログリフは馬、人物で彫ったというより削って描いているようだ。

 白く淡い円形のペトログリフの中に、縦に赤い帯が入っている岩絵がある。

 馬が描かれていることから、比較的新しいユーと族のものだとされている。

 落書きが多い。

 北側の壁に向かうと、こちらには多くのペトログリフがある。

 逆三角形の胴体を持ち頭や首に装飾品をまとった人物像や足跡、角のある動物たちが描かれている。

 こちらはフリーモント人によって描かれたと考えられている。

 更に先のサイトには、ピクトグラフが描かれている。

 バリアーキャニオンスタイルのものだ。

 朱色で描かれた擬人像は、手足がなく幽霊のような形をしていて、目がある場合は骸骨のようだ。

 色が薄くなってしまったところもある。

 擬人像の肩のところから垂直の線や丸い泡のような形をしたものがある。

 雨を表しているという考えもある。

 雨乞い或いは感謝の対象として描いたか。

 ピクトグラフやその周辺に、深く小さな穴がいくつも開いている。

 銃弾の後だとの見方もある。

 車で先に進むと、右手にフェンスがあってその向こうに鮮やかなピクトグラフが見えている。

 こちらの朱色のピクトグラフは、手足のない擬人像で、頭に飾りをつけている。

 逆三角形の胴体を持ったものもある。

 バリアーキャニオンスタイルからフリーモントへの移行期のものだろうか。

 こちらも、いたずら書きが多い。

 ピクトグラフでは、キャニオンランズにあるホースシューキャニオンのグレートギャラリーが一番有名だし宗教性を感じる。

 まさに芸術品だ。

 こちらのピクトグラフも古代の芸術家によって描かれたに違いない。

 これで今回の旅で巡るところは全て終了。

 レンタカーを返却するため、SLCに向かう。

 約3時間半、約350kmの距離だ。

 トンプソンまで戻り、I-70Wでグリーンリバーの先EXIT157を右折し、US191N/US6Wに入る。

 プライス、ソルジャーサミットを通りスパニッシュフォークでI-15Nに入る。

 ソルトレイクシィティが近づいて来る。

 EXIT308を左にカーブしてI-80Wに入る。

 空港が近い。

  EXIT115Bを右折し、空港のターミナルドライブに入る。

 レンタルカーリターンの標識に従って進むと、レンタカーの駐車場に到着。

 車を停めて荷物を下ろす。

 返却時の点検もない。

 係員と会話することもない。

 駐車場を出て、ターミナルに向かう。

 ターミナルで、近くの人にホテルのシャトルバスの発着場所を教えてもらう。

 3番乗り場だとのこと。

 3番乗り場からハンプトンインに電話して迎えに来るよう依頼する。

 20分程で来るらしい。

 13時頃、ホテルに着く。

 早すぎるので、荷物を預けてから出かけようとしたが、チェックインできるとのこと。

 フロントで、明日の朝5時にシャトルバスに乗りたいと言ったら、どうしてそんなに早く出るのか聞かれた。

 ユナイテッド航空のアプリを開いて、7時45分発の便に乗るためだと説明したら、納得した。

 部屋に入って、ホッとする。

 今日の部屋は、南を向いている。

 買っていない土産があったので、ダウンタウンに行くことにする。

 ウーバーのアプリから配車を手配する。

 乗車地点と降車地点をタップするだけ。

 料金や迎えの時間、ドライバーの名前やその人の評価、車種や色がわかる。

 14時過ぎに、ウーバーがホテルの玄関まで迎えに来てくれた。

 運転しているのはジェフリーという男性。

 会話は、全くない。

 I-80Eでダウンタウンに向かう。

 以前、アメリカのいろいろな都市でタクシーを利用したことがあるが、皆話好きでよく話しかけられたものだ。

 最近では、タクシーが減って、ほとんどがウーバー等に取って代わられているらしい。

 テンプルスクウェア(Temple Square)で降車。

 スカイブリッジシティクリークモール(Skybridge,City Creek Mall)という大きなショッピングモールに入る。

 店内を小さな川が流れている。

 ピアスを購入し、モール内を散策する。

 次にユタ州議会堂に向かう。

 北に向かって緩やかな坂を登って行くと、正面に白い大きな議会堂が現れてくる。

 手前の土産店で、Tシャツを購入する。

 横長の建物の上に丸いドームが載っている。

 単純だが、きれいだ。

 周囲もよく整備だれている。

 議事堂の階段を上って、正面入り口に着く。

 ここからソルトレイクシィティの町並みの一部が見渡せる。

 16時ちょうどに議事堂の鐘が鳴り始めた。

 ホテルに帰ることにする。

 ウーバーを呼ぶ。今度はティファニーという女性ドライバー。

 16時半にホテル到着。

 夕食はやはりウーバーで頼む。

 ピザを注文し、ホテルの玄関で受け取る。

 食べきれる量ではない。

9月17日(日)

4時に起床。

身支度をして4時半にフロントに行くと、すぐにシャトルバスのドライバーが来てくれた。

外はまだ暗い。

空港に向けて出発。

SLCのターミナルに到着。

1階のユナイテッド航空のカウンターで聞いたところ、2階が出発ロビーだという。

2階に行くと早朝にもかかわらず、混んでいる。

カウンターでは、日本人女性が荷物の重量オーバーを指摘され戸惑っている。

超過料金を支払えばいいのに、同行者のスーツケースに荷物を移そうとしている。

自分の番になり、予約しているが搭乗券を持っていないと告げると、係員が近くの発券機にパスポートをスキャンして発券してくれる。

同時に荷物の預けも完了。

ボーディングパスは、SLC-LAX LAX-NRTの2枚だが、LAX発の搭乗券に出発ゲートの表示がなく、まだ決定していないとなっている。

不安だ。

セキュリティを通過する。

歩いていてハットする。

スマホがない。

焦った。

これは大変なことになった。

セキュリティに戻り、近くの係員に黒いモバイルフォンを失した、自分の通過レーンはこの辺だと伝える。

係員が探し始めると、最後のレーンにあった。

セキュリティの担当者がスマホをかかげている。

自分のだ。

冷や汗ものだ。

お礼を言って、出発ゲートに向かう。

搭乗時間になり、機内に乗り始める。

自分は、グループ3だ。

UA5408便の後方右窓側のシートにつく。

9時前にLAXのターミナル7に到着。

ここで、乗り継ぎのためトムブラッドレーターミナルに移動する。

この乗り継ぎが分かりづらい。

ユナイテッド航空のアプリで行き方はわかる。

アプリの地図を見ながら移動する。

途中でアプリからルートが消えてしまった。

どこへ行ったらいいのか、迷ってしまった。

近くの女性店員に聞いたら、最近日本語を話していないからと言いながらも、案内してくれる。

この階段を降りていけばいいという。

アプリが消えたのは。受信状況が悪かったからか。

階段を降りて歩いていると、前に日本語を話す3人連れがいる。

トムブラッドレーに行くと言ったら、私たちも行くとのことで一緒にさせてもらう。

旅慣れているようで、よく利用するという。

ボーディングパスを見せて、搭乗ゲートが記入されていないと言ったら、父親らしき男性が機材の遅れがあるのかもとのこと。

その子供と思われる女性が、発着情報の電光掲示板まで一緒に来てくれた。

二人で確認すると、NH5便の出発ゲートが表示されていた。

良かった。

彼女にお礼を言って、ゲートに向かう。

150番ゲートに着いた。

ほどなくしてゲート周辺にANAの職員が集まってきた。

NH5便は、定刻より遅れて13時過ぎにNRTに向けLAXを離陸した。

12時間のフライトはきつかった。

同日、無事にNRTに到着。

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